花より実

5月30日、今朝の菜園では収穫がなく何だか寂しい。
とりあえずキュウリとトマトに追肥の作業と雑草抜き。

カラービーマン(黄)
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インゲン
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中長ナス
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シャキットキュウリ
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あー、実が欲しい~~

大玉トマト(強うま)
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ミニトマト(アイコ)
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大玉トマトはあと2週間後くらい待ちかな。

昨夜の福ちゃん
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最近、家人さんの椅子で眠るようになっている。
それにしても家人さんは幾重にも座布団をしているようだ。これは腰痛にはまずいと思うのだが。

午後5時まで「JIN-仁 完結編」の後半を観る。
仁の連続再生を聴きながら、「黒鯛の中華あんかけ蒸し」を適当に作る。蒸し加減はバッチリ、中華あんのオイスターソースと片栗がもう少し薄かったらよかったのだが。
黒鯛は先日、釣り人からいただいて冷凍保存していた1/3部分。いい絞まり具合に蒸すことができた。
仁の曲では、歌はMISIA、楽器は胡弓(と思う)篇がnice! と思った。
明日は「JIN-仁」の最終回。冒頭、「あっー」と涙が溢れる。
もう一度最後まで観なくては。

守山そぞろ歩き(7)小幡篇②

5月29日、奥様を突然に亡くされた盆栽の友人(5歳年上)の告別式、夜のニュースでオンライン葬儀なるものがあることを知って少し驚いた。
昨日は通夜式の3時間前に式場で弔問した。何だか友人が一回り小さくなってしまったように見えたのだが、こういうのはオンラインでは伝わらないだろう。


友人のだるまさん(同い年)が、②を送ってくれているので私も助かる。
早速、続編。

       守山そぞろ歩き⑺小幡篇②
             歴史の町を歩く       東谷山六兵衛

 この辺りを歩き、寺の人などの話を聞くと鎌倉時代から江戸時代にかけての興味深い歴史の町であることがわかる。歴史好きの六兵衛にとって興味深いそぞろ歩きになっている。
不要不急ではないがこの程度の楽しみは許してもらえるだろう。
 さて小幡城址から瀬戸街道方面に下り、瓢箪山の駅の南の住宅地、廿軒家(にじゅっけんや)に向かう。
 樹木が生い茂り、欝蒼とした一角がみえる。地元の人が松蔭(まつかげ)庵と呼ぶ旧尼寺である。
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 門が締まっていたが庭の手入れをしていたおじさんに中に入れてもらうと昼なお昏(くら)く、苔むしった庭の一角に茅葺屋根の庵がひっそり建っており、鳥の囀りも聞こえてくる。
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 庵の左右に丸い塚があり、隅に「如々院月中一夢法師」と刻まれた石柱が建っている。
 ここは以前、尼寺であったが今の庵主は男性だそうである。江戸時代の後期、熱田の貧しい農家の女に金毘羅大権現が天下り、如来の教えを説き始めた。如来の前では人間すべて平等である、という如来教の教えは貧しい農民、下級武士の心をつかんだ。なぜこの地に庵が建立されたのか、詳しい資料がないが本山は熱田区籏屋にある青大慈寺である、と庭番のおじさんが教えてくれた。
 西へ歩くこと15分、矢田川橋を渡ると右に公園が見える。ここは東区である。この公園もマスクをした若いお母さんと子供の黄色い声が聞こえてくる。保育園、小学校の休校で何処も公園は満員である。すべり台は黄色いテープで使用禁止の表示がしてある。脇を通ってしばらく歩くと石段の下に「無住國師入定地」「靈鷲(りょうじゅ)山長母禪寺」と刻まれた石柱が建っている。明和4年(1767)の大洪水で矢田川がこの寺の南側を突き破り流れを変えて、北側を流れるようになった。この大洪水では守山村の25%が水没し、死者も2千人を越えたという。当時でいえば伊勢湾台風なみの被害を被ったのであったろう。
 守山村から長母寺だけが切り離されることになり、今では東区木が崎になっている。
 ゆるやかな石段を登ると長母寺由来(名古屋市教育委員会)が建っている。
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前述長慶寺に縁のある寺である。
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創建したのは山田重忠であり、その後荒廃していたが弘長3年(1263)山田道園坊が母親の慰霊のために再建し、天台宗から臨済宗に改宗し、無住国師を開山とした。その後尾張二代藩主光友の命により再興されたと記されている。この殿様の名前は大森寺の由来でも出会った。きっと信仰に厚い名君だったのであろう。
 さらにこの寺の開山無住国師が尾張万歳を広めたといわれている。しかつめらしい説教よりも万歳が村民の心を捉えたのであろう。
寺宝の無住国師坐像は10月10日に行われる開山忌に公開されるそうだが写真で見る坐像の表情は穏やかに微笑んでいるように見える。
きっと村民を慈しむ親しみやすい坊様であったことであろう。
 本堂の左手に熱田社が祀られている。熱田神宮とこの寺の関係は深いとされており、国師在任中は熱田の神が毎月朔日(ついたち)に参禅に訪れたという謂れがある。熱田神宮から霊宝として「八重つつじ」が贈られた。このつつじは寺宝だといわれ、この枝を折った牢人が狂い死にしたという話も伝わっているそうだ。
 つつじは開山堂の前の「さざれ石」の横に植えられ、赤い花が満開であった。
 寺を出て公園の裏手から矢田川の堤防に登る。対岸には守山の宝勝寺の森が見える。この辺りが流れの変わった場所だったのだろう。
 自然の力には驚愕するばかりである。 了


だるまさんとは高校時代は全く知らない間柄だった。退職後に初めて参加した同高卒の親しい友人らの飲み会で、「陶芸をやっています」と、初参加の私が挨拶したところだるまさんが「オレもやっているのだ」と話しかけてくれた。それがお付き合いの始まりであった。
文中の松蔭庵と呼ぶ旧尼寺あたりで、詠んだとも思われるだるまさんの句。
昼昏き尼庵にほらり黒揚羽

に、家人さんが「らくだ句会」第150回の特選句として選んでいる(誰の句かは分からない状態)ので、こうなると腐れ縁(笑)なのかもしれない。

盆栽の友人は、だるまさんよりも後からのお付き合い、小さく見えてしまったその友人に、「落ち着いたら連絡をしてください」と、声をかけて告別式場を後にした。  合掌

守山そぞろ歩き(6)小幡篇①

5月28日、朝からとても忙しかった。全部書いてたら切りがないので、一つだけ。
先週、採った血液検査の結果を「お忘れ院長」のクリニックへ訊きに行った。受付ではその旨をちゃんと伝えたのに、診察室に入ったら「何のために来たのだ」と言われ、「血液検査の結果を訊きに」と。
いきなり「血液検査の結果など1カ月後でいい、中性脂肪が349くらい問題ない」と言われ、「院長! 私に喧嘩売っているのぉ?」と言い返す。今回の検査項目は26項目あるのだが、この人、自分で検査をすると言っておいて、「しっかりしてよ」と言いたかったときは、席を立ってしまっていた。
このクリニックもかかりつけ医、失格の烙印を押して、市役所へ手を打った。例によって「県へと」たらい回しである。
色々動きまわっていた時、車のTV音で聞いたのだが大村知事が何かマズイことを言った様子、次に聞いた時はどうも大村知事の分が悪いようだった。


だるまさんも冒頭、大村知事と河村市長の問題に触れている。
愛知はどうも心配である。

     守山そぞろ歩き⑹小幡篇①
         歴史の町を歩く       東谷山六兵衛

 コロナウイルスの愛知県緊急事態宣言解除の翌日、「守山そぞろ歩き」を再開した。
 解除に関しても愛知県と名古屋市はどうも足並みが揃わない。県知事と市長は事あるごとにいがみ合っているように私は感じる。
「今はそんなこといっている場合じゃあねぇだろう、誰の為の政り事をやっているんだ」と、まあ呆れながらそぞろ歩きを始めた。
 守山区役所の西の辻に真新しい道標(みちしるべ)が建っている。「ここ小幡は江戸時代は北へは龍泉寺街道が南には笠寺街道が伸びており守山の地理的な中心であり、尾張四観音の笠寺と龍泉寺を結ぶ拠点である」と標されている。
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 そしてこの道は鳴海、星崎で採れた塩を足助方面に運ぶ「塩の道」としても利用された産業用の街道でもあったようである。昭和区に塩付という地名があるがそこを通って運ばれてきたのだろう。小幡は瀬戸街道に沿って名鉄電車も走っており、区役所、小劇場もある昔から守山区の中心的な街であった。
 区役所で配布されている『まちあるきマップ』に添って北に5分ほど歩くと長慶寺の山門が見えてくる。この栄松山と号する臨済宗の寺院は昔この地方の領主山田重忠が父母と兄の冥福を祈って長父寺、長母寺、長兄寺の三寺を建てたが長父寺は廃れ、長母寺と長兄寺は残った。その後「長兄寺」は「長慶寺」と改められた。寺伝によると時が過ぎ荒廃した長慶寺を山田正親(重忠の孫)が兄兼続の菩提を弔うため、慶長年間{1249~56}に南山士雲を開山として創設したとある。
 正親、兼続兄弟の父重継は承久の乱(1221)で朝廷方につき討死したが当時14歳だった長男兼続が佐渡に流され、7年後に許されて山田庄に帰った。その後出家したが若くして亡くなった。開山南山士雲とは鎌倉建長寺、京都東福寺の管主を務めた名僧だそうである。本堂の西側にその南山士雲の墓といわれる威厳のある無縫塔が佇んでいる。
承久の乱という朝廷と武家の歴史的な争いに係わった人物を弔った寺がこの地にあることに歴史の重みを感じざるを得ない。
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 境内で作業をしていたこの寺の縁者らしい若者にその話をすると「全く知りませんでした。承久の乱は日本史の授業で聞いたことはあるけどそんな由緒ある寺だとは…。重みを感じプレッシャーになります」
 山門を出て少し歩くと生玉神社があり、この辺りの人達には「生玉さん」と呼ばれて親しまれている。本殿の両脇には「福きつね」と刻まれたかわいらしい狐が鎮座おわします。
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欝蒼とした木立の中に奥の院がある。ここの狐は社を守るようにキッとこちらを睨みつけているようだ。
 生玉さんを出て坂を下っていくと西城の高台に小幡城址がある。
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 小幡城は小牧長久手の戦いで家康が陣を張っていた重要な拠点であった。秀吉と信長の次男、信雄・家康連合軍が信長の跡目を争った戦いである。(詳細は前号参照)犬山城に陣を張る秀吉軍に対し家康は小牧城に陣を張っていた。秀吉軍の武将池田信輝は家康を小牧城に足止めしておき、その間に岡崎を攻略する作戦に出た。小幡城主本多広孝(家康方)はそれを察知し、家康とともに背後から襲い掛かり、白山林(今の本地が原・尾張旭辺り)で勝利した。小幡城は重要な拠点であった。この戦は決着がつかなかったが、秀吉は家康に一目置き、以後家康とは戦っていない。
 ここも今では駐車場に変わり、わずかに名古屋市教育委員会の説明板があるだけである。もはや古城址の趣はない。   以下続く


世界史より日本史の方を好んでいた私なのだが、だるまさんのようにもっと勉強をしておくべきだった強く反省している。

先日、愛知県がコロナの感染者名簿をホームページに漏らしてしまったことについて、漏らされた人たちに賠償金を支払うらしい。それくらいやってはいけな大きなミスだったと思う。
特別定額給付金申請について、当市でも窓口対応がマズイと言う声が聞こえてきた。市民の中には「書留」で送付している人もいるらしい。

美和の舞

5月27日、今朝も菜園へ行きが遅れた。昨夜の突然の訃報を知人らにお知らせしたりしていて、いつの間にか眠ったようだった。
自宅での突然死だから警察の聴取、死体の検案など友人も大変であった。私も、今日は少しだが友人のホローにあたった。先の近隣の若い奥様の突然死に対しては、未だにどちらかのご両親らしき人が、ホローに来ている様子。
菜園では、いただいたズッキーニの苗が萎れてしまっていたのだが、無事復活してくれた。とにかく水やりの回数を増やしたことと、昨夜の雨がホローしてくれたようだ。


美和の舞(サツキ)
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このサツキも一昨日の「はなびん」と同じように花数がぐーんと減っている。

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でも葉は元気。
撮る前に、「はなびん」と同じように少しでも整枝をすればよかったのだが、撮ることにしつこさが欠けている。
来年に向けては、植物の栄養素の基本チッソ・リン酸・カリの割合を丁寧にホローしてやれば、うまくいくのかなと思う。

初挑戦していたズッキーニの成長の早さに驚いている。受粉して3日経つともう収穫。復活したズッキーニが収穫期になると初挑戦のズッキーニがそろそろ終わるころになるのだろうと、タイミングはいい感じ。

ズッキーニの天ぷらをやってみた。
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ズッキーニ、タマネギ・大葉、エビ。

エピも畑で採れると完璧なんだが、神様がそれは許してくれないようだ。
多すぎると言っていた家人さんが、ペロリであった。
天婦羅の腕前が上がったのかとちょっと自慢したいのだが、てんぷら粉の濃度と付け方がとても難しいと思っている。自己採点で65点。
天婦羅を揚げている間に、家人さんが水やりをしてくれたのだが、花にも水を掛けてしまっている。役割が転換しているのだが、それもまた良しと思うしかない。

特別定額給付金

5月26日、特別定額給付金の申請書は届いています。
手続き上の問題もいくつかあるようですが、まぁ、入金するだろうとロボット掃除機+自動ゴミ収集機を購入してきました。
家人さんは過剰自粛で運動不足が原因なのか、腰痛が悪化へ一直線。私も退職した時に休養と称した運動不足が原因で腰痛を発症。
折角の給付金なので有効に活用しようと選択したのがロボットです。ちょっと2人とも手動掃除機では腰への負担が大きいので。

開梱してとりあえず使ってみようと、稼働。
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思っていたよりスピードがあり、行きつ戻りつ吸引力も強いようです。

よく見ていると15㎜程度の段差は簡単に乗り越えます。
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落ちるかと思ってレシーブ姿勢をとっていたら、止まります。
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速攻充電だったので、電力がなくなったら自分の基地に戻って自動的にゴミが吸い上げられていました。
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発売されてから、四角のロボット(隅々まで吸収ができる)が現れないかと待っていたのですが、待ちきれず給付金を充てることにして入手しました。
充電後、家中這ってもらいましたが、面白かったという感想です。

購入先が星が丘に近かったので、星が丘テラスの花観賞。
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ドラマ「仁」を観ていると、これまでの自分の考え方を変える必要があるのではないか、などと考えてしまいます。
例えば、私の生きる目的は、一番目が家人さんより長く生きることとしていますが、果たして男女の平均寿命差を気力だけで乗り越えられるのでしょうか?
ならば、どのように手を打っていけばいいのでしょう?
仮に私が独りになった時は、自分では大丈夫、生きて行ける思っていたのでですが、果たして本当に行けるのでしょうか?
週末に、もう一度よく観て考えることにします。


以上の予約投稿をしておいて、久しぶりに早寝をしていたら、盆栽の友人から22:33スマホが。
何と、奥様が今日の午後突然死だと。
先月末はすぐ近くの若い奥様が。
いったい私の周りがどうなっているんだと、何か変な気がしています。